kyoojii's Tum

行動がパターン化すると、思考もパターン化しがちですよね。しかし、思考のパターンだけを変えるのは難しい。だからまず行動パターンから変えてみるというわけです。簡単ですよ、いつもより早起きしてみるとか、朝食のメニューを変えてみるとか、行ったことのないところに行ってみるとか、そんなことです。そうした結果、新しいアイデアや発想が生まれやすくなる気がします。パターン化されたことが嫌いなのかも知れません。例えば、私は10年後、20年後には、今予想されるのとは違う姿でいたいなと思っています。青写真どおりに人生が進んでいくのはちょっとつまらない気がするんですよ。

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aikido is the shiznit. seriously. but I am not good for martial arts. i can’t guarantee to not use my knowledge, skills, power and strength for anything other than (self-)defense. I might chophead people when I had it with them. Just because I could.

And I am honest enough to admit that.

(via shinoddddd, lickystickypickyme)

たしかに人間を追い詰めると、恐怖や苦痛や不条理に対して「鈍感」にはなる。でも、入力に対して鈍感になることと「胆力がある」ことは違う。胆力があるというのは、極めて危機的な状況に陥ったときに、浮き足立たず、恐怖心を持たず、焦りもしないこと。どんなに破局的な事態においても、限定的には自分のロジックが通る場所が必ずあると信じて、そこをてがかりにして、怒りもせず、絶望もせず、じわじわと手をつけてゆく。とんでもなく不条理な状況の中でもむりやりに条理を通していく。胆力とはそういう心構えではないかと僕は思っているんです。頭に血が上って鬼になってしまうということと胆力があるということは方向がまったく違う。僕は日本型教育の最大の問題は、人を鈍感にはするけれど、胆力がつかないことにあるんだと思う。それが現代の日本人にいちばん欠けているものですよね。

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ver.1からが 眼 なのか。

日本人というのは真面目で心配性なのに、なにかノーテンキなところがある。

戸籍がある国が世界で6カ国、水道が飲める国が7カ国。戸籍があるというのは「氏素性」だから、外国からほとんど敵が攻めてこない国しか戸籍はできない。

つまり,日本人はほとんど「入れ替え無し」で2000年間、生きてきた国だからだ。

世界でも希な恵まれた国、そんな国に育つと、「真面目で心配性でノーテンキ」ということになるのだろう。

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Ruth Swanson

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